祇園祭鯉山町飾毛綴復元記念旗

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京都市 1988年

1988年の初夏、当時鯉山町の会長であった野口安左衛門氏が突然訪ねて来られ、10年がかりで完成した鯉山の後部を飾る見送りの復元を記念して、旗を作りたいという依頼をうけました。氏の中京のご自宅は茶人小堀遠州のお屋敷を伏見から移築した建造物で京都市の有形文化財に指定されていました。日本の三大祭の一つを支える京の町衆の姿を目の前にして京の歴史の厚みと、記念に旗を作りたいという斬新な発想に驚き、その製作を託されたことに身の引き締まる思いがしました。

鯉山の見送りの由来はフランスのゴブラン織物より古い時代のもので、ブラヴァン・ブリュッセル地方(現ベルギー)で作られた精巧な織物であることが、B.Bと織り込まれたイニシャルから判明しました。

ちょうど支倉常長が遣殴使節を引き連れ帰国した頃の時代です。天明の飢饉の折に救済のため売りに出され、鯉山町が買い上げたそうです。この『ブリュッセルから鯉山町への由来をデザイン化してほしい。』という条件でした。宵山に出来上がった三枚一組のこの日よけ暖簾風の旗は、野口邸の前に並べられ、復元のお披露目の宴が催されました。毎年祭が近づくと元気が出るとおっしゃっていた野口氏は、その2年後巡行当日の夕刻、入院先で無事巡行が終わったことを聞いて、息をひきとられたそうです。最後まで京の町衆の心意気を示された氏の生きざまに、コンチキチンのお囃子が聞こえるたびに胸を熱くし、氏との出会いに感謝しています。